最後にして最大のギフト

4月21日、日曜日から月曜日にまたいだ夜中に祖母が旅立った。

死は肉体的に何も残さない。
焼き上がった祖母の骨を箸で砕きながら死とはつくづく見事なものだと確認する。

実家から近い祖母の家へは、幼いころから弟とよく遊びに行った。
毎年夏には鬼太郎の妖怪大迷路が目当てで宝塚ファミリーランドに連れて行ってもらった。
両親ともに働いていたこともあり多くの時間を一緒に過ごした。

ひいじいちゃん、じいちゃん、犬のピーコ。

もうあの家の住民は一人もこの世にはいない。

祖母の一人息子である父は数年前に癌で他界している。 みんなでベッドを囲み、最後の父の息を確認した後、ぽつり息子の名前を呼ぶ祖母の声を聴いたとき、親より先に逝くものではないなと骨身に沁みた。

誰に向けるでもない誓い。

己の生に対する責任感。

これは言葉の投げかけのみによって生じるものではない。

体感によって生ずる。

言葉のみの投げかけによって心が動かされたとすれば、それは体験からの共感が引き起こされたのだ。
年を取ると涙腺が緩むといわれるけれど、紐付けされる体験が豊富になるので共感が芽生えやすくなるのだろう。

身内の死を遠ざけないことだ。

近しい人の死から己の命の質量を感じる。

それは最後にして最大のその人からのギフト。

身内の死を遠ざけないということはどういことか。

普段からの生活の中にその人と接するということ。

物理的に遠くても、近く感じること。

息子たちには、やがてやってくる母や自分たちの死をしっかり体感してもらいたい。

生命がまさに移ろいゆく中で、貴重な存在となってくるのが葬儀場ではしゃいでいる息子だ。
ただいるだけで有り難い。
富士山といっしょ。

元来、ぼくらはそういうものなんだなぁ。

ばあちゃん85年間おつかれさま。
ありがとう。

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Djembe&vocal
Kackey@dabigtree

Yamandara



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