5月末、Twitterから久しぶりにメッセージが入った。
この前はInstagramから久しぶりの仲間からオファーメッセージを貰ったし、僕らはどうやらどうしても繋がる世界に生きている。
“お久しぶりでーす!
来月久しぶりに大阪でお芝居やりまーす!
ご都合あえば是非観て欲しいでーす。”
ハードロックカフェ大阪で一緒に働いていた市原文太郎君からだ。
劇団員そとばこまちを卒業、旗揚げ、そして上京。
上京前には何度か自分のイベントに出てもらった。
今回の上演スケジュールを見ると、、、
厳しい、、
うーん厳しい。
がどうしても行きたい。
彼の出演した芝居はすべてとても面白くインスピレーションをもらえるものばかりだった。
自分の中で市原文太郎ブランディングが構築されているのだ。
ギリギリまで分からなかったが、結果的に僕は行けた。
妊娠が分かった夫婦、余命間もない母を持つ兄弟、生と死の間にいる2つの何ものか。
けして交わることない三対の導線がクライマックスに有り得ない交わり方をする。
だがとても自然。
会話がとても必然的で自然的なのだ。
どれほどこの導線の交わり方を試したのだろう。
ここまで緻密に計算された脚本と演出に敬意を表したい。
そして六人の役者たちにも。
軽くない題材を使いながら、ちゃんとそこには笑いもあったし涙もあった。
芝居が終わり、市原文太郎君をハグした。
芝居は音楽だけのライブよりも時間も人も金もかかる。
東京の数年間、彼の覚悟と積み重ねてきた確かな質量を感じた。
こうして彼はまた僕の中で市原文太郎ブランディングをひとつ揺るぎないもモノにした。
偉いぞ文太郎!
凄いぞ文太郎!
生と死を扱う舞台の会場のすぐ近くには僕が生まれた愛染病院があった。
日本橋in→dependent theatre 1st
『粛々と運針』
https://stage.corich.jp/stage/82371