「武士道といふは、死ぬ事と見付けたり」の 『葉隠』から”批判の仕方”を学ぼう

佐賀鍋島藩に仕えた山本常朝が武士道について書いた本、「葉隠」。

戦時中は戦意高揚のために用いられ、戦後は危険思想とみなされがちな『葉隠』を再度掘り下げてみようと、三島由紀夫さんが『葉隠入門』を書きました。

終始殺伐とした空気が張りつめているわけではなく、なかなかユニークで、にこやかな文面がたまに出てきます。

 

歌舞伎

 

批判の仕方

 

(訳)意見してその人の欠点や直す、ということはたいせつなことであり、慈悲心ともいいかえられる。

 

ただ意見の仕方に骨を折る必要がある。

他人のやっていることに対して善悪をさがし出すということはやさしいことで、また、それについて批判することもたやすい。

おおかたの人は、人の好かない、言いにくいことを言ってやるのが親切のように思い、それがうけいれられなければ、力が足りなかったとしているようだ。

こうしたやり方はなんら役立たずで、ただいたずらに人に恥をかかせ、悪口をいうだけのこととおなじ結果になってしまう。
いってみれば、気晴らしのたぐいだ。

怒っている

意見というのは、まず、その人がそれをうけいれるか否かをよく見分け、相手と親しくなり、こちらのいうことを、いつも信用するような状態にしむけるところからはじめなければならない。

そのうえで趣味の方面などからはいって、言い方なども工夫し、時節を考え、あるいは手紙などで、あるいは帰りがけなどに、自分の失敗を話しだしたりして、よけいなことは言わなくても思い当たるようにしむけるのがよい。

まずは、よいところをほめたて、気分を引き立てるように心をくだいて、のどが渇いたときに水が飲みたくなるように考えさせ、そうしたうえで欠点を直していく、というのが意見というものである。

意見というものは、ことのほかしにくいものといえる。

だれでも年来の悪癖みたいなものが身に沁みこんでいるので、そうすぐには直らないということは、私自身にもおぼえのあることだ。

友だち一同、つね日ごろ親しくして、悪癖を直し合い、ひとつの心になってご奉公につとめるようになることこそが本当の慈悲心といえるだろう。

それなのに、恥をかかせては、直るべきものも直らないことになってしまう。

直るはずもないではないか。

仲間