年末より日本を離れて南インド・バンガロールで歓喜と祈りのバイブレーションを伝える為、コンサートをして回っている。
とても重要な役割だ。

バンガロールの人たちは行く先々で日本の地震を心配して声をかけてくれている。
日本人に対してリスペクトの気持ちも言葉にして伝えてくれる。
ある友人は「日本はお手本の国だ。」と言ってくれた。

この後、同じく昨年地震で被災したネパール、マレーシアとツアーを周り帰国は2月。

今、日本を離れて思うこと。
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震災時は1日1日、そしてエリアによって状況が常に変わる。
支援のやり方によってはマイナスに働いてしまったり、各フェーズによってできるだけ一次情報を集めながらリアルタイムで調整する必要がある。
例えば今日生きる食料衣服が無いならそれを必要な人にまず送るのが急務。
そのフェーズが過ぎれば次に必要なのは、仮住まいだったり、運搬する車。
そして人間としての生きがいとしての仕事、自分の役割、居場所を必要とする。
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2011年5月、東北震災支援へゴールデンウィーク中盤に大阪を仲間達と出発し、東北へ向かった。
テレビではゴールデンウィークはボランティアでごった返し、逆に迷惑になるので控えた方がよいとの風潮を流していた。
僕の予感ではゴールデンウィーク中盤からボランティアは減って人手が足りなくなると告げていた。
現地へ向かいながら情報を取り、もし行くことで逆効果になるなら迷惑がかからない地点で引き返せばいい。
行ってみるとやはり人手は足りていなかった。
支援物資の仕分けや、重機が入れるよう先ず人海戦術で道を拓く必要があった。
何故ボランティアに行くのか?という問いが沸いてくる。
日本に住む以上、地震、津波は避けて通れない。子どもや孫のためにも、できるだけ震災とは何かを体験する為との答えに帰着した。
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2011年5月末、仲間の吉澤武彦こと武ちゃんに声をかけられ富士山麓に集合。
武ちゃんとは原爆の残火、平和の火のCandle Night 1 Pi:ce(キャンドルナイトワンピース)の活動で絆を強めた。
「震災が起きて2か月が経ち、今、そしてこれから求められるものはなんだ?」
と同年代30歳前後のリーダー達が集まり本気で討議した。
「真剣に知恵を出し、そして実行せよ。」と厳しくも暖かいメンター役の故・山田バウさんのもと絞り出されて生み出されたのが日本カーシェアリング協会。
僕は立ち上げにほんの少し関わっただけだけど、代表の武ちゃんはずっとこの活動を継続し広げている。
車を調達して、必要なところに車を送り、コミュニティを運営していく。
はじめは夢みたいな話だった。
断崖絶壁に爪をかけて登るようなトライ。
今では各自治体、企業などと連携を取って動いている。
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日本を離れている今、
今日、どのように生きるか、どのように死んでゆくかを真剣に考え、積み重ねた人に自分のエネルギーをいくばかりか送りたい。
何に使われているか不明で、一度寄付したらそれで満足して終わるような支援を自分はしない。
きちんとその後どのような活動をしているのかウォッチするのも支援した側の責任。
日本カーシェアリング協会、そしてその代表の吉澤武彦に、微力ではあるけどお金と祈りと歌のエネルギーを送ります。
