6年が経った。

一人の労働力を提供するために、

そして次の世代に伝えるために何が起こったのか知るために仲間たちと現地に行った。

現実。

地震も津波も原発も存在する世界にぼくたちはいる。

ガレキというものは、あの日まで着ていた靴下や、ベビーカーや、カバンだった。

御遺体の一部であっても見つかれば家族に届けようと思った。

笑っていなければ立ち続けられなかった。
現地へ行く前日に入籍し、次の年あたりには父親になるだろと思っていた。

福島では放射線の線量を伝えるラジオが聞こえた。

ケータイには数秒後に到達する地震の知らせが鳴った。
3・11の後に生まれた息子たちはとても元気にしている。